January 18, 2005

地震と身体性

◇今日の夜は火曜夜9時のTVドラマ、『救命病棟24時』をみる予定。テーマは災害時の医療である。妻が看護士なもんだから勉強がてら見る。前回は「人を救う医師は死んではいけない。」という本質的なテーマであった。私もいざ地震がおこったときのためにシュミレーションを頭のなかでしてみたりする。

◇神戸の震災から10年ということで、テレビや新聞でいろんな様子が映し出されるが、今回印象に残ったのは、『内田樹の研究室:震災から10年』というエントリーだった。そのときの状況と何をすべきかが私の身体に伝わってくる。

震災で私はいくつかのことを学んだ。
一つはこのような「マニュアルのない状況」においても、きわめて適切なふるまい方を無意識的にできる人がいるということである。
例えば、山本先生や中井さんや藤原さんや東松さんや山先生や野嵜先生や上野先生や渡部先生…といった方々は、「震災」という言葉を聞くとまずその顔が脳裏に浮かぶほどに復興の場で活躍された同僚であるが、「まずその顔が浮かぶ」ということは、そのとき大学に来て復興事業に携わった人々の中で、私が「ああ、ここに誰か来合わせてくれないかしら…」とまごまごしている局面に、不思議にこの方々が「たまたまその場に居合わせて手を貸してくれる」ということが高い確率で起きたということである。
こういうのはある種の身体的感覚のようなものだと思う。

◇─「身体的感覚」或いは「身体性」──言語化できないもの。でもなにか確かに感じ信頼の基礎に置いているもの。私たちはクオリアだの悟りだの愛だの、言語化しようと試みる。おそらく、無数にある宗教や思想やイデオロギーといったものはここに収斂していくのではないか。私たちが帰る場所というのか。

◇こういう文章が読めるのも自由さやいい加減さを担保したブログだからこそだろうなと思った。

投稿者 kensuke : January 18, 2005 05:46 PM | トラックバック
コメント
コメントする









名前、アドレスを登録しますか?